こんばんは、安堂チユです!
ブログを書くのがめちゃくちゃお久しぶりになってしまって……はぁ~申し訳ないです。
もうどこからマシュマロのお返事をすればいいのかも、そもそもどれにお返事していいのかも分からないのでとりあえずコメントできそうなものだけこれ送ってくれた方へ~みたいな形で返信しますのでご了承ください!!変なやつとか弾かれてるやつ以外は全部読んでます!!
一度マシュマロがそのままわたしの元に届くようにしてもらったときに、たくさんchinchinとかおくって遊んだけど全然届かなかったです。ちゃんと弾かれてんだなぁって思いました。びっくり。AIってすごいねェ。
最近はハロコンが楽しすぎてモーニングのツアーも楽しすぎて、ほんとに楽しかったなぁって夏組と過ごせなかった夏を埋めてくれた感覚に感謝と共に、それと同時にあらためてハローの楽曲の良さを感じています。
子どものころ、モーニング娘。に憧れたのは「かっこいい!」「かわいい!」だったんだけど(ほぼ一目ぼれ)その次に感じたのは「歌がすごい」だったんだよな。
当時、一生懸命歌詞をノートに書き写して、一生懸命どういう状況なのか考えていて。
わたしの歴史からするとハマっていたものが
ママレードボーイ(すべての倫理観を失う)→少女小説→モーニング娘。なので
少女小説の中では逐一説明されていた悲しさとか愛しさとか、その状況や人柄みたいなものが、音楽に乗せて字数の限られた中で、関係や状況を想像させて自分のそばに寄せてくる、みたいなものにものすごく感動したのを覚えています。
ちなみに同じくらいの年齢~お姉さんたちの読者さんにも同じ小林深雪先生のティーンズハートを読んで育った民が多いんだけど、わたしは自分が生まれた頃に出版された本から自分でお小遣いで本を買ってよくなるまで集めまくり買い続けてたのですが、結局どれがベストワンか聞かれると、「恋のキッチンへおいでよ!」です。実は自分の本(三角錐のやつ)の目次も、それをオマージュしています。かわいいので。かわいさ全開ってこれだろ!ってなって。
話が逸れましたが、同じ曲をまぁ28年続いているグループなので、小学生の時にも聞き、中高の多感な時期にも聞き、20代の頃にも聞き、大人になっても聞いているんですけど、感じ方が全然違ってほんとうに違うんですよね。
めっちゃネタバレなんですけど、今回のツアーのセトリに通学列車が入ってるんですよ!!!!知ってるか??ハッピーサマーウエディングのカップリングやで????同世代~上のお姉さんたちはあ~ってなってくれる?
あの曲2000年の曲なはずなので25年経っても歌われることに嬉しいのと同時に「三両目の二番目のドア」って言われて今も色あせることなく電車が想像できて、でも当時は地元から大阪へ出る電車だったのが今はいろんな電車を思い浮かべられて、でもぱっと想像するのは「はじめて頭の中に景色の浮かんだ自分の地元からの電車」なんだよなぁ~って思ったりします。でも、同じ電車を想像しても当時は好きな子はぱっとその当時好きな子を想像して、高校生ぐらいになったらこうやって電車に乗って出会ったりするのかな~とぼんやりと思っていたのに、今はもう今の自分も未来の自分も主人公じゃなくて、なんとなく俯瞰から見て居たりする。そして小学生の頃のわたしよ、奴は同じ高校に行ったがまさかのチャリで行っていたんだよ、そしてうちらの学区から通う高校に電車で通う選択肢はひとつもあらへん。……なんて思ったりもする。こんな感じで見え方が全然ちがうのは、恋愛ソングならではなのかもしれない、って思った。
わたしはずっとモーニングで一番好きな曲は地平本願(この地球の平和を本気で願ってるんだよ!)って公言しているんですけど、こういう「世界がこうであってほしい、それはそうとしてわたしはこうでありたい」みたいな曲って、いつでもその時の自分にフィットしてくれて、いつだって自分の背中を押してくれるなって思っています。最近で言うとwucとか最KYOUとか。
ただ今回のツアーでまた「みんなで一緒に歌いましょう」で涙ッチは全然歌えるのにBe Aliveの歌い出しはあかん、泣いてもうた……ってなっていたのですが、これ歌が良すぎるだけでわたしが泣くのも仕方なくない?って気づきました。そこで家でカラオケ(つくって下さってる方がいる)で歌ってみたらめっちゃ泣いてパジャマびしょびしょになった。リズムに気をつけている気持ちを持てば全然泣かない(わたしはそういうタイプ自分が主人公だと泣かない)のに、歌詞に気持ちを寄り添わせようとするとぼろぼろに泣いた。だめだった。
この曲、アルバム曲なので公式でYoutubeが出ていないので載せられないんですけど、まぁ……調べてください(笑)
こんな時代だからこそ聞いてほしいし世界に唱えたい。わたしの目指すやさしくて幸せな世界って多分世界の全員がこの曲に共感しないと無理だなと思って。それってやっぱりモーニング娘。が世界を救うってことなんだなぁ~ってなんかこう、初心に戻ったというか。
たしかに今は会うことも、お話しすることも、名前やそれに付随するなにがしを覚えてもらうことも可能な時代になったけれど、今も昔もモーニング娘。って良いのは歌とダンスというパフォーマンスで、それを武器に世界を平和にするための女の子たちなんだよなぁと思った時に、わたしも自分の本で世界を救えるような女の子になるわ!!って思いました。割と本気で。自分が誰かを変えることは難しいけど、誰かの心に常にフィットし続ける本は作れるよなって思いました。
まぁそんなこと言いながらやってる仕事は全部えろ関連!!!!!!!!!出したら終わる!!!!!!(黙れ)
【質問のコーナー】
Q.今までやってた習い事教えてください
- いちばんはじめまで遡ると私立の幼稚園に通うためになにがしするやつです。月星~で書いてるばんりくんの「おじゅけんのじゅく」ですね。1歳ぐらいで通い始めたはずなんだけど、光景すごく覚えてる。みんな全然できなくて、そもそもしゃべれてなくて、親の会話は全部よく分かっていたので、あほちゃうかみんなガキだな、親たちわたしが会話分かってないと思ってんのかあほやな分かっとるで(意訳)と思っていた。でも、こんなこと思ってる当時のわたしはまだ立てませんwwwつかまり立ちぐらいは出来てたかもしれない。歩けないけどぺらぺら喋る子だった。話の中でわたしが書いているばんりくんみたいな神童!みたいな感じではなくてただよく喋る子ってだけだったので、ここもおそらく母が人とのつながりを持たせるために行かせてたんだと思います。たいしたお勉強はしてないしピリピリ感もなかった。季節とか年中行事をやる会みたいになってた。
その次がおそらくスイミングなんだけど、2歳まではベビースイミングでママと一緒に入っていたのに3歳になったら一人で幼児のコースにぶち込まれて(チユは11月生まれ+我が家のきょうだいのなかでは2番目に小さく生まれまして、今でも小さいですが当時はとびきり小さかったがとてもおよげました)、でも「ママがすべて」の世界で生きていて、良いのか悪いのかの判断はすべてママがしていたのでそれに従うのみ、空気だけは読み続けるガキだったため、ママがいない場所での振る舞いが分からず大泣きして、ママがコーチにお願いして体操からプールに入るまではずっとこっそり、みんなからは見えないけどわたしは見える位置でママが見守ってくれてました。プールに入ってしまえばガラス越しにはママは見てますが何喋ってるかとかは分からないので何やってても怒られないウェーイってなってました。プール辞めるまでほぼ見守られてたんちゃうかな。マインドは今と変わりません。
3歳の時にお受験した(らしい、こっちの方はまじで記憶にない。その前に通ってたプレ幼稚園でもらうおやつをリュックに詰めてる自分は覚えている。おやつママに聞かないと食べてはいけない子だったので)幼稚園ほんとに制服かわいくて、あぁいうのって半分抽選だったりするじゃないですか、小学校とかも。あれも親父が朝5時から並びに行ってくれたらしいんですけど、まぁうちの家で一番運のいい親父なので普通に受かって制服まで買ってばっちりだったのに転勤が決まって、その次に受験したのはたぶんエッセイに書いたと思うんですけど、(そこの幼稚園もめちゃくちゃ制服もバッグも可愛かったしそもそも茶色の制服とバッグなのでイエベのおれ勝ちです。当時から指輪のおもちゃつなげたやつとかつけてました。変わってない)そこの幼稚園で年中さんから習いたい人は放課後に週一でピアノが習えるので習い始めました。でもこれもどこかのエッセイで書こうと思ってるんですけど、ママ音大に行けるようなレベルのほんまにすごい人(だが我が家は妹が日本の頂点どころでない位置に君臨してるので全員ゴミレベルに成り下がる)でくっそスパルタで、わたしは3歳の入園~4歳までは(4歳から平仮名のお勉強の時間がはじまるので)書道初段?とにかく一番上まで結局極めた母に毎日一ページ字を習い(もう入園時にはひらがなカタカナ書けてたので綺麗に書く練習だったと思うのですが、習字やってた人に習ったと思えないフォントなのは小学校高学年~中学校でギャルフォントしか書かなかったからですそういう時代でした)、それが終わったら遊びに行って良かった(住んでたのが社宅でした)んですけど、年中さんになってからは、ピアノの練習、ソルフェージュもどき(はじめはト音記号ヘ音記号ドレミファソラシドをかくところから、音階とかの問題が毎日1ページ作られていた)、文字の練習をこなさないと遊びに行けなかった。友達が迎えに来ても玄関で座って待ってた。部屋にも入れない。さすがママ。この歳になって思うけど、子どもにこうあってほしいと願うならここまでのガッツがないと無理だし、自分が悪者になってもいいという気持ちが無いと無理。
このピアノなんですけどね、まぁみなさんバイエルからはじめると思うんですけど、わたしバイエルの上巻をやらずに赤と黄色の表紙のやつ(今もある?/たぶんバイエルの上巻の幼児向け)をやってからバイエル下巻にいきました。これを転園するまでの約一年で。えぇ、爆速です。課題1つ出たら2つ先まで勝手に予習しておく、先生が次ここねって言ったらそこもやってきたって言って弾いてさっさと合格をもらう、この爆速飛び級方式のおかげでわたしはおそらく2つ課題が出たら一週間で6つ課題をこなしていた。ちなみにわたしは楽譜が読めない。ぱっと見ても全然できない。今でも片手ずつ弾いて、全部暗譜して弾く。たぶん半年ぐらいやれば今のわたしなら目が慣れてできそうだけど、当時本当にまったくマルチタスクができなかったので、ひとの何倍も時間がかかったし引っかけたら掃除機かけてても聞こえるママの地獄耳のおかげで死ぬほど怒られたのでピアノが楽しいと思ったことは一度もなかった。でも、何って、わたしと同じように教室内で一人だけ爆速飛び級を同じようなペースでやってる子がいて、抜かし抜かされだったので、それが楽しかったんだと思う。負けたくないって思ってやってた。ちなみに一回だけ課題に合格もらえなかった時があって、終わった後椅子の上で泣いたらだめだと思いながら震えて母のお迎えを待ったので、その日の課題が蛍の絵のページだったと思うんですけどなんかそのへんの絵が恐怖です。ぜんぶあやふやな記憶ですわ。
で、引っ越したおかげでピアノが辞められて「やったー!!!!」だったので、ピアノはそこまでです。でもなぜか小学校の全員合唱の伴奏とかやりました。もっとびっくりするのはピアノ習ったことない妹は5年生の時に勝手に自分で練習してめちゃくちゃ難しい伴奏やってました。意味分からへん。この時点で姉に才能がなく妹にめちゃくちゃ才能があることがよく分かる。
それから引っ越してからは水泳再開。やっぱりわたし水泳の才能だけはあったらしくて、親は全然水泳を頑張ってほしいわけではなく喘息改善のためにならってたんですけど、わたしもさして楽しかったわけではなく水が汚いか否かが問題であるって感じだったんですけど、汚い水の中にいたくなさすぎて速かったです。年一で西日本の同じスクールの系列で大会があったんですけど、わたしはもう当時から足の筋肉がなかったので腕だけでなんとかできるバック速すぎて小3の時ぐらいに西日本でぶっちぎり1位だったはずです。でも当時のわたしは、大会の泳ぐ順序見てなくて、トイレ行きたかったのに呼ばれたから早くさっさと泳いでトイレ行こうと思ってそれだけ考えてたらゴーンって頭打って、やばいやばい漏らすとおもってふと横を見たらだれもいなくてみんなまだ真ん中あたりを泳いでおり、横のレーンから上がりたい(まっすぐ上に上がるにはわたしは非常に腹筋を使うのでこのままだともらすと思った)が、まだ泳いでるので横のレーンには入れずにはよ泳いでくれよと心の底から思った記憶しかない。いっぱいトロフィーとかメダルあったけど、別に努力したわけでもなくありすぎてさして重要性も感じなかったのでどこかのタイミングで全部捨てた。
ちなみにこの時も小4になったかならんかぐらいで中学生とかのいるコースにぶちこまれて体格差がやばすぎてママにカロリーメイト口にぶち込まれてました。
あと小学生の時は華道やってました。6年生の最後までやると豪華なお菓子をもらってお祝いしてもらえるんですけど、最後にお礼とか抱負をみんなの前で言わなきゃいけなくて、わたしはモーニング娘。に出会うまで本当に目立ちたくなかったので、お菓子は欲しいけどみんなの前でなんか言うのはいやだな~って結構悩んでました。結局その前に辞めたけどな!!
で、結局子役事務所に入ったころにこれらは全部辞めました。あ、他にも家で英語習ってました!!小5の頃から同級生がうちに来て、そのおうちのお母さんに英語を教えて欲しいって言われて母が教えていたので一緒に勉強してました。それはすごく楽しかったです。小5のわたしには中1英語ぐらいがちょうど、出来ないけどちょっと努力すればすぐできるようになる楽しいゲームレベルで面白かったんだと思います。そのおかげで英語の成績はずっと悪くなかったはずです。多分。最近成績表?高校のテストの結果(付箋みたいな細さの紙に各点数と順位が印刷されてるやつ。今思えば、絶対大きく印刷して一人一枚にするより切る方が時間かかるからやめた方がいいと思う)が一枚だけ出て来たらしく「278位だった??wwww」って聞いたら「生物と国語はよかったよ」って言われたので二年生以降の成績っぽいですね。
(※チユの学年は280人定員だったが、1年の1学期時点で一人辞めて(辞めたのか来てなかったのか?)一人不登校でテストにも来てなかったので、〇位/280位は実は嘘で、278位が最下位である。ちなみにチユは278位を取ったことがあるが、それは物理で9点を取った時ではない。その時、まだ下に数人いた。なんてテストだ)
テストの話一個していい?高1の時に数学でいきなり28点取ったんですよ。あのさ、普通にね、中学校で5教科合計450点切ったら終わった……みたいな感覚じゃないですか。470点ぐらいでまぁ普通みたいなの。分かる?みんなそんなもんだったでしょ?中学でいっちばんとんでもない点数の45点取った実力テストの社会(歴史)の回でも、他が99、98とかだったから、まぁなんとかそれなりに合計点誤魔化せました……みたいな感じだったのに、全部がこの調子で、え、え、なんでみんな分かるの?って感じだったんですよ。だから次のテスト、数Aが確率で、数学の確立と生物の遺伝が今でもしぬほど大好きババァのわたしはすごい勉強して83点取ったんですよ。20点台から83よ。すごいのよ。めっちゃがんばった!って思ったのに、順位230位ぐらいで失笑した。あー、わたしがわかるものはみんなもわかるのねって。なんかこの辺でわたしの自尊心折られていってるのがよく分かりますね。
でもね、塾は行きなさいって言われたことないです。なぜなら親が塾に行ったことがないので、どんな施設なのか分からないからです。今でも我が家の中では塾では何が行われているのか謎です。あと、わたしも一応塾とか言った方がいい?とか聞いたはずなんですよね。でも親には「学校行っても勉強してへんやつが(寝てるのばれとる)、学校終わってから勉強するわけないやろ」って言われて終わりました。その通りでございます。もうこの頃ってわたしね、ラジオにハガキとメールを送るために起きておりましてね。親も勉強しながらラジオ聞いてたらしいんですけど、だからラジオOKで、わたしはそこでFAX送りまくってて、それで図書券なり現金書留なりをもらいまくってお小遣い稼いでました。もらえるお小遣いが決まっているなら、自分でどうにかして得ればいいじゃないってチユーアントワネットはこの頃から健在でしたね。妹の名前も勝手に使って送ってたので(内容的に小学生の妹が送ったことにした方が読まれるとかかなり分析してました)、届いた図書券はどっちのものなのか揉めました(わたしがすべての妹の作文や詩、俳句など国語関係の宿題を妹の字を完全トレスして受け持っていたのでわたしのものになりましたが読書感想文の金賞かなんかの図書券だけは親の手前譲渡不可なのでもらえませんでしたねぇ~~/親に妹は何度も「ほんまに自分で書いた?ほんまはお姉ちゃんが書いたやろ?」って聞かれてたのに全部「自分で書きました!」って言った。妹よ。あれ、でっかい表彰式はもちろん学校の朝礼とかで校長先生からもらうときどんな気持ちなんだろうか。わたしは長子なので自分の書いたものでしか受賞したことがないので、その時の気持ちって想像しかできへんなぁ)
こういうものにはこういうの書いたらいいっていうのはこの頃から学んでたのかもしれないです。そして、モーニング娘。を諦め(させられ)た頃からはラジオのパーソナリティやりたいって思っていたので(元々はモーニングになって、矢口先輩の枠を継いでオールナイトニッポンをやりたかったし、ヤンタンのついについえた癒せませんのコーナーも誰よりも出来ると思ってた。ラジオだいすき)今キャスとかでラジオっぽいことができるのはとても楽しいです。そのうち広い家に越したら、ポッドキャストかYoutubeでラジオやりたいです。今はマイク置くとこないです。
あとは親に習字とピアノはまぁたまに教えてもらったり(習字ほんまに下手なまんまだった。どうやったらうまくなるのかさっぱり)、モーニング娘。になりたいので自分で教本(一曲目がドーシラソラソ ラーシドレミレーのやつ/名前忘れた)をやってたら親が弾いてくれたりとか、モーニングを諦めてからもマインドはモーニング娘。なので、音楽の合唱祭とかの合唱曲の楽譜が配られたらもうその日に家で練習して(この楽譜は読めるんですよねぇ~)、ママに伴奏弾いてもらって、先生が曲を教える段階で誰よりも完璧にしていったりはしてました。高校の時は特に習い事してないけど部活4つ掛け持ちしてて、それがもう全部お稽古事みたいものだったので実質ずっと習い事してたようなもんでした。食べて寝てた記憶しかないけど。大学入ったらとりあえずお金を稼いで現場に行くことしか考えてなくて、大人になってから小説とは何かってところからとシナリオとはいかにしたものかというのを一から習いに行きました。わたしは家で勉強するの向いてない+人のいる場で叩きのめされて、それでも頑張れると思えるぐらい好きなら小説家に転向しようと思って小説関係のお勉強をはじめたのと、そこでほんとに自分の知識がなさすぎて、好きな作家さんの本しか読んでこなかったことを反省して、通勤の往復2時間で毎日単行本一冊読んでました。文豪と呼ばれる人のものから、好きな作家さんや気になった賞の受賞作まで全部。おかげで好きな作家さんが増えました。ちなみにラノベと呼ばれるものでちゃんと最後まで読んで全部今もシリーズ読んでる作品はひとつだけなので、わたしはたぶんラノベ向きではないんだなって最近気づいて諦めました!すっごい勉強したけどそれはまた別の所で生きると思うのでいいです。
シナリオの勉強をはじめたのは「小説家はシナリオは書けないけれど、シナリオライターは小説を書ける」と聞いてです。これもいつか書きたいんだけどわたしは「わたしには特になにか秀でた表現はできない、やりたいことがあるわけでもない。でも誰よりも努力だけは出来るしいっぱい書くことだけはできる」と思って課題3つ先までやってました。母から身につけられた爆速飛び級負けず嫌い生きまくり。持って行きすぎて先生にそれ以上はもう受け取らないって断られました。先生、正解だと思う。断ってなかったら10個ぐらい1週間で持って行ってた。この時も自分に枷を課して、毎週30本ネタ出ししてた。その話はまぁ詳しくはどこかのエッセイでします。わたしは冒頭の言葉はまったくその通りだと思いますが、わたしは小説出身でシナリオを勉強された方特有の繊細な表現が好きです。逆でわたしがこころから尊敬しているのが唯一読んでいるラノベのよう実の作家さんです。似ているようで全く別のジャンルだと思っています。でもどっちもおもしろい。シナリオはパズル解いてる感じ。小説は気持ちをいかにどの面から斬って書くか。ぜんっぜん違うし、シナリオなんてもうゲーム、映画、アニメ、ドラマ、劇作全部まったく違うのでほんとにおもしろい。ぜんぶできるようになりたいなと思っています。わたしが、よしまずはえろげからやるかって思ったのはほんとによう実の先生のおかげです。最近、ここが出来なきゃ何も出来ないと心から思っています。あれです、舞台俳優になりたくていつかはブロードウェイにいきたい→ほなまず日本でグラミュに出ないと→グラミュに出られるようになる前にはまず2.5で名前売らないと→テニミュに出れなきゃなんも始まらない、って原理と同じです。いきなりブロードウェイは無理。たまにそういう人もおるけど、それってとんでもねぇやつ。あと2.5が思いの外楽しくて居残る人もいるけどそれもまたそれでよし、たまに戻ってくるのもよし、って感じなのと同じでたぶんわたしも別名義の仕事ずっとやると思います。単価がいいので!!!!!!!!!当たり前に単価が違うので。時給大事なので。稼げる女でありたいのでなんでもします。
今は趣味で華道再開したいな~って思ってるんですけど、見たことある方なら分かると思うんですけどあのでっけぇ皿みたいなの、ほんまに場所取るねん。うちの今の家には、床の間なんてないのよ←毎週お花飾ってた場所。あと流派によってやりかた全然違うらしくて、習いに行くのも面倒だなって思っているので自己流でいいやと思ってるんですけど、まず実家で剣山を探すところから始めようと思います。
習い事はそこそこお金をかけてもらっていたとは思うんですけど、わたしがほんとにやりたいと思ってやってたのは子役と大人になってからの習い事で、自分でお金払って勉強した方が身に着くなと心から思っています。あとすごくお金使ってもらったはずなのにその後に妹がとんでもねぇ大金使いまくりなので(だってあいつ今でも親に3桁越えの楽器買ってもらってるよ?わたしパソコン自分で買ってるよ?おかしいね!)、わたしに使った額なんてたかが知れてるってレベルになってます。うちの親は塾にはお金を出さない(だって行っても勉強するわけがないから)けど、本気でやりたいこと(芸能活動)にはお金を出してくれる気持ちではかるタイプです。たぶん。そのうち、モーニング娘。以外の夢全部叶えてドヤ顔して、お前たちの教育は半分間違っていましたね!!!!半分は授けていただいたものかもしれませんが半分はわたしの努力でつかみ取りました!!!!って大口叩きます。
こんな感じです~クラッシックバレエとかやってそうだった?やってないです。やる?って聞かれたことあるけど、爪先で立つの痛そうだったのでことわりました。正解。
マシュマロ一気にお返事大会~~~~~
◎エーステ最高でしたね~不謹慎ですが~ってマシュマロの方
ほんっとにほんとに最高でした。どの公演ご覧になられました?もうネタバレしゃべっていい?
A:ラストの歌の配置。わたしハッピー同室クローバーって呼んでるんですけど、これの配置が全然ほかの部屋のひとたちわかんないんですけど、右奥の方が202と103の4人で四葉のクローバーで、「え??わたしの好きな子しかおらんのやが??なんの組み合わせ??ばんりくんどこ??」って思って探したら真ん中で201とクローバー作ってて、そこで同室って気づきました(あほ)他がどうなってたのか全然知らないので他の人のおたくは「うちの子はどこの部屋と同じクローバーでした!」って教えてください。本当に。
202号室ね、ふたりともにっこにっこで。もうさ、あれ三好じゃないんよ。中の人出てきてる出てきてる!わかる、かわいいのわかる。わかるよぉぉぉふたりともにっこにっこでかわいいねぇぇぇぇぇぇっぇ~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!って爆泣きしました。対が103だったから余計ににこにこしてるのが目立ったのかも。103のふたりも、こんなかわいい202となりにいてにこにこしたかっただろうに、役柄的にむりだよねぇぇぇぇ大変だねぇぇぇぇぇわたしはやっと202のおたくとして報われて大号泣~~~~~~~~~~~~って感じでした。
B:まぁ言わずもがな夏組のシーンははじめから爆泣きなのはもうみんな知ってるからいいんですけど、しんどかったな。夏組のみんなが明るければ明るいほど、クロウ伝前のシーンが染みすぎてしんでた。
あと、わたしは偶々ほんとうに偶々B公演に一番多く入れて(あとの3つは同数)、なにがよかったって、夢の跡をいっぱい見れたことです。悪魔2公演、夢の跡、クロウ伝、ラスプラ、劇中劇5公演の中で断然これが好きだった。当たり前にこれが一番好きだった。って言ったら「好きそ~~~~」ってうちの売り子に言われたのでそうなんだと思います。わたし、あぁいう重くて暗くて、でもぎゅっとくるしいストレート失恋恋愛ものが好きです。(同じ理由で剣に死すもすごい好き)舞台上で着替えるのも、6人だけでやる演出も好きでした。くっそ、ゆきおの演出すきだ……くっそ……
あと、A/B公演ともですが、はじまるまで、「仕方ねぇ、監督(いづみ)役も観客役もやるけど、ゆきおの役もやるきゃねぇか……腹括るわ……」って言ってたのにやらなくて済んで拍子抜けでした。てっきりいづみ演出になって、自分もやるもんだと思ってた。ばんりくんのやるゆきおが好きだった。善おじには甘えてたのねって、わかるわかるってなった。なんだよゆきお役なかったやんやる気満々やったわ~って言ったらだいたいのおたくやる気だったって同意してくれて笑った。みんな3役掛け持ちする気満々。
C:見たうちの1回以外上階のサイドに上げられてしまって、網越し(3階サイシーとか見切れに入った女、分かってくれ……めっちゃ縦の柵と横の照明棒で網越しになる)のマクベスと謝罪会見とラスプラという、もはや見えるところ探しだったんですけど、いいんです、箱には入れたら文句は言いません。夏組のおたく何してた?わたしはこのあたりですっこーんって天馬くんに引きずりおろされた
D:チケットとれた関係で、Dから見まして。正真正銘最後の夏組の劇中劇ということで、それだけで爆泣きしてて記憶がパーなんですけど、天馬くんというか天馬くんの中の人というか、まぁもうこの辺で引きずりおろされて、意味分からないことになってました。わたしはだれを見たらええんや????とりあえず目5こはいるんやけど????奇数だな。ってなってた。
あの、それとは別に不埒なことを考えるのすっごい分かります。トイレ足りてる????
大昔のビズログかなんかにはじめてMANKAI寮の図が公開された時にトイレ3つだった気がしたんだよ……(幻想かもしれない)足りんやろ~~~~~
あのね、わたし、ハロコンで女の子が70人ぐらい舞台にいるのは見慣れてるのよ。その時も多いな~とは思うんだけど、男40人ぐらいいたら「圧!!!!」って感じでやばかった。でけぇんだ。みんな。すごいわ。っていうのと、あの、ずーっとだまってたんですけど、初演の秋冬の円盤のメイキングで千秋楽だったかが終わった直後に誰か(多分スタッフさん?)がトイレに駆け込んでいく映像が収録されてるんですよ……でもどう見てもそれトイレ個室1個みたいなとこなのね。大丈夫そ??????って思った記憶がある。わたしが捏造した記憶かもしれない。
◎地元スポットとキャッチコピー考えてくれたフォロワーさんへ
中華街の近くに通ってた直後に頂いたので行きたかった~~の気持ちです。どうせまたあの劇場に通うこともあると思うので、その時行ってみます!!
それからキャッチコピーとっても嬉しかったです。でもわたしがまだまだ高みを目指して登ってる途中!でもいつかはつけていただいたキャッチコピーのようになれるようがんばります!!
◎作家さんって好きなことやって書きたいものかいてるイメージでした~の方へ
ほんまのトップオブトップの人がそれやって許される感じです。むらかみはるきさんとか、わたし昔のえろほんしか読んだことないんですけど、あの人はやりたいようにやってるっぽいです??あと、昔はそうだったみたいなので、昔からずっと本を出し続けて居る方はそうかもしれないです。わたしの恩師からうかがった話の中でも、編集部にホテルに缶詰めにされた人もいれば、阪神の試合全通したいので、試合シーズン前に爆速ですべての原稿終わらせて全通してた人もいるみたいです。わたしは後者になりたい前者ですww
この仕事だけに限らず転職していろんな会社やいろんな仕事を経験して分かったことは、自我を捨てろということですね。自我があるとダメだと思ってます。なのでやりたいことはなーんにもできてないです。人生の中で何を優先したいか考えた時にわたしは公演に通う時間が欲しいと昼まで寝たいだったので、それは転職してよかったな~って思っています。
あと、自分のこと繊細なのか繊細じゃないのか分からなくなるのですが、わたしの場合は元々めちゃくちゃ繊細だったのに社会に出て強くなっていったので繊細さは残しつつもガオガオやってくぞ!!って感じです。基本は変わった人しか本書こうと思わないし、人を使って理想の本をつくるぞとも思わないと思うので、わたしは作家も編集もどっちも頭狂ってる(正気の沙汰ではない/褒めてるけど褒めてない)と思ってます。
◎マンジャロご存知ですか?の方
知ってます!打てるなら打ちたいです!!でも本当に必要な糖尿病の方の分が足りないかもって聞いて我慢してます!!体型には一生悩んでて一生コンプレックスです!!!!!!!でも昨日ポップコーン爆食いして今日は巨大パフェ食べました。言ってることとやってることが伴ってません。反省。
◎選挙行った人だけもらえる本を頒布するなら選挙投票しましたの紙もらえない人ももらえるようにして~の方へ
わたしの地域も配ってないですよ~~最近配るのやめてる自治体多いと思います。わたしは最後に座ってる(2つめの投票終わった後のところ)おばちゃんに「投票しましたの紙ください」って言ったらもらえます。毎回投票うぃの投稿したいがためだけにもらっています。
一回今度選挙あったらお住いの自治体でも配っているか聞いてみてください。
あとわたしがもらえない地域の方をとりこぼすわけないでしょう~~~~!!!!どうするか考えときます~~~~もしかしたら投票行った後のあなたの写真を身分証と共に、投票所の看板前で撮ってきてくださいとか言うかもしれないのでおしゃれして投票行って外食してきて下さい。
◎ルパパト履修してますか?
もちろんしてます。決まった時もわたしは遠征中のホテルにいて、「これまーどぅーの子じゃないの?」ってネットニュース見て言われて飛び跳ねたのを覚えています。当時まーちゃんはスカート、ハルちゃんはパンツ、みたいに対極のお衣装になることが多かったし(これは辻加護の時代からそう、彼女たちは色違い)、王子さま役をやることが多かったハルちゃんが女の子のお衣装を着て女の子の役をしてる!!(当たり前だが)って新鮮でドキドキしました。ちなみに車椅子の少女の回はめっちゃくちゃ印象に残ってて、後にそれがゆうみちゃんって分かってあ~~あの子!ってすぐなりました。やっぱ目を引く子は目を引くね。
これで全部いけたかな?キャス聞いたよ~とか色々みなさんお言葉ありがとうございました。今チユは元気に自分の文章の校正からはじめました。いい作品をお届けできるように頑張りますので、応援していただけたら嬉しいです。あと、もうすでに本を落とさないように自炊を諦めたので、本が出たらお手に取って楽しんでいただけると赤字が多少ましになります。(ダイレクト)よろしくお願いします~~~~
5部も決まったしえーすりーますます楽しみですねえ~~
安堂チユ